~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2015年12月14日月曜日

散髪屋【生立ち編-37】

散髪屋は男の社交場とはよく言ったものです。
ご近所さんが集まり、、客同士で話が盛り上がります。

私が小学校の頃,行きつけの近所の散髪屋でこんなことがありました。


そこは、店主1人でやっている小さな散髪屋で、私が待合で待っているとき、
散髪台にいた初齢のおじいさんと店主が話をしていました。


客「あそこの〇〇さん。“出”はいいんやで」
店主は、ハサミを動かしながら、すかさず客に応対します。


店主「そうみたいですね、〇〇さんはそうみたいですねぇ。
   でも☓☓さんは、あまりでは良くないはずですよ」


待合で待っている私は、その言葉を聞いた時、
散髪屋の待合に必ず置いてある“漫画本”をフッと伏せ、
店主たちの会話に耳を傾けました。


それ以前の会話はもちろんですが、それ以降の会話も、
今となってはあまり覚えていません。
それ程までに、その「部分」が鮮明に脳裏に焼き付いているのです。


部落に関しての知識が、他の誰よりもあっただろう小学校の頃の私は、
そのことが何を意味しているかすぐにわかりました。


店主たちが「出」と言っているのは出自の事ですが、
在日韓国朝鮮人とか、被差別部落民とは言わずに「出」という単語で表現することに、
かなりの差別性と悪意を感じます。


当時、私が住んでいた近所には在日韓国・朝鮮人の集落があり、
在日のクラスメイトもたくさんいました。
中の良い友達も数人おり、よく一緒に遊んだものです。
彼らは、通名を名乗っていましたので、
在日系の通名はある程度把握していました。


そう言う訳で、店主達が話す名前から、その対象者が
在日韓国・朝鮮人では無いことがすぐにわかりました。


そうです、店主と客は明らかに部落のことを言っているのでした。


話は変わりますが、私はこれまでに、学校や職場などで、
時折、在日韓国・朝鮮人や被差別部落民の
差別的な話をしているのを耳にしてきました。


はっきり言って、その手の話をしている彼らは、全く周りのことを考えていない。
周りに在日韓国・朝鮮人や被差別部落民がいることもあるだろうに、
そんなことお構いなし。
その空間に存在する周りの人すべてが、
「差別を受けていない人々」であると勘違いするのでしょうか?


散髪屋の店主たちもそのような状況であったと思います。
そこに、誰よりも“被差別部落”に敏感な『私』と言うものがいるにもかかわらず…


もしかしたら、店主と客は、私が子供だと思い油断していたのかもしれません。


ただ彼らの中に、差別の心があった事は事実だと思います。
話の対象となった〇〇さんや、× ×達は、被差別部落出身でありながら、
おそらくこの近所に居を構えていたのでしょう。


先にも書きましたように、この会話は、
その部分だけがすごく印象に残っており、
今から40年近く前の経験ですが、今でも私の心の中に残っています。
ただその部分のインパクトが凄く凄く強く、
それ以外の会話の内容はほとんど覚えていません。


でも、このことからわかるように、周りからの受け売りで、
その言葉・・・ここでは『出』と言う言葉だけが、
私の心に深く刻まれ、新たな差別の火種へと繋がっていきます。


差別とは、そういうことです。


・・・つまり、周りからの受け売り・先入観・偏見・噂などが、
差別の元凶なのです。


「部落は汚い」
「あそこの子とは遊んだらアカン」
「川の向こう側は怖いところやで」
「部落は穢れてる」
etc・・・

時に親から、時に近所さんから、
時に学校の友人から吹きこまれた噂や風評は、
全くのデマであるにもかかわらず、
子供の心には、それがあたかも真実のように、
簡単にインプットされます。

しかも、社会経験の少ない子供にとっては、
どんどんと、その小さな頭の中で“デマ”は増長し、
やがてそれは、畏怖という形で、
彼ら、彼女らの中で大きく大きく膨らみ、インプットされます。


これで、簡単に新たな『差別者』の出来上がりです。


部落について、正しい知識を持ってもらいうことが、
部落差別をなくす近道なのです。
そのことを皆様が正しく理解していただける迄、
私は、このブログを続けいていきます。

                 スギムラ シンジ

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1 件のコメント:

大川原英智 さんのコメント...

こんばんは。

落語家の露の新治さんが、こんな話をされていました。

自分の親は、今生きていようといまいと、必ず2人います。祖父母は4人。その親たちは8人。そのまた親たちは16人。全員自分と血がつながっています。この計算をして奈良時代までさかのぼると、自分と血のつながりがある先祖の数は、その時代の全人口と同じになるというのです。つまり、僕たち一人ひとりの先祖は、奈良時代にはみんなが同一人物に行きつきます。別の言い方をすれば、僕たちは全員親戚になるということです。
 
さらに、近年の歴史の研究によると、世界のどの国民も人種、民族もすべて数百万年前になるとアフリカに行きつくということがわかってきました。これは、全世界の人類がみんな親戚であるということになります。環境が違うので、長い間にさまざまな個性が出たまでです。

僕たちはアフリカから分かれて世界に散らばった仲間とも言えます。出身はみな同じという、とても愉快な考え方だなと思っています。

僕も自分自身の4代先は誰なのかわかりませんが、こう考えていくと、何か楽しくなっていきますね。