~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2015年7月15日水曜日

八鹿闘争勝利記念碑:その1/見て記・行って記・被差別歩記-3

以前、「被差別部落と学校の歴史」と題し、4回に渡ってお送りしてきましたが、
如何でしたでしょうか?

「学校教育と部落問題」については、各学校によってもそれぞれの歴史や出来事があり、
私もその全てを把握しているわけでもなく、一まとめに出来ないテーマですが、
私なりの解釈を持って記事にさせていただきました。

その中でも、“これは!!”と思うところに、
八鹿高校事件(部落解放同盟側からは、八鹿高校教育差別事件といいますが、
便宜上、八鹿高校事件とさせていただきます)があります。

八鹿高校事件に関しましては、本文中にも記述しておりますが、
当時の新聞報道等によれば、学校における、
教師に対する部落解放同盟員の暴力事件とされており、
一般的にもそのような解釈がなされております。

私は、事件が起こった当時は5歳。
事件については、それから後、
部落問題の勉強を始めてから知ることになるのですが、
未だ持って、事件の概要のみしか理解が出来ていません。

八鹿高校事件自体は、多くの書物等で解説がなされているのですが、
部落解放同盟側及び、教師側(共産党側)で書かれている内容が反するため、
概要のみしか理解できないのかもしれません。

いや、八鹿高校事件を知る方、それぞれがそのような解釈しか出来ないのかもしれません。
もしかしたら、事件と言うものは、最終的には、
当事者しか理解することが出来ないのかもしれません。


でも、そんな事件の真相に少しでも迫りたい・理解したいと、
私は、事件の舞台に向かいました。
【これから書く事は、今から5年ほどに訪問した時のものです】

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天空の城・日本のマチュピチュと形容される竹田城址。
近年、ネットやテレビの影響も手伝い、これと言った観光資源のなかった
この小さな田舎町にも、多くの観光客が押し寄せる“ブーム”をもたらした。

しかし、その反面、短期間に多くの人々が押し寄せた代償として、
登山道や城壁に傷みが目立ち、今や、入城制限まで課せられる事態となっている。

文化財と言うものはおおむねそのような末路を辿るようである。
例えば、高松塚古墳の壁画。
今から、1400年以上も、美しい飛鳥美人の絵を保ってきたものが、
ほんの数年にして、カビだらけにしてしまったことは記憶に新しい。
「発見・ブーム」と同時に「破壊」となるのが、どうも今の文化財のありようの様だ。

その昔、京の都から西へ向かう街道を「山陰道」とはよく言ったもので、
なるほど、山陰への玄関口であるこの地も、山々に囲まれた間に、
小さな町や村が点在する。
さらに、南からは、姫路と当地を結ぶ「播但道」が交わる交通の要衝でもあった。

その様な場所に築城された竹田城は、
軍事上も、非常に重要な城であったに違いない。

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さて、この竹田城址ブームで一躍脚光を浴びた但馬地方であるが、
実は、それよりずっと前、今から約40年前に“事件”と言う形で、
有名になったことがある。

「八鹿高校事件」
(=部落解放同盟側からは、八鹿高校教育差別事件と言うが、
ここでは、便宜上、八鹿高校事件を用いる事とする)
このブログの読者諸氏においては、
八鹿高校事件は、ある意味聞きなれた出来事かもしれない。

今回の訪問記については、事件そのものを振り返り、
検証・批判するものではない。
あくまでも、その舞台のフィールドワークをまとめたものであるが、
やはり、事件に触れなければならない場面も出てくるだろう。
そこで、先ずはじめに、簡単に事件を振り返っておくこととする。

新聞報道等での「事件」としての扱いでは、
 
―1974年11月22日―
兵庫県・八鹿高等学校にて、生徒から要望があった
『部落解放研究会』設置に反対した教職員を、
部落解放同盟員が中心となり、
教職員に対し、監禁・暴力を加えた。

と言う事になっている。
しかし、事件は、そんな単純なものではないようだ。

先ず、大前提として言えることは、
一見、≪部落解放同盟vs教職員≫の対立と見てとれるこの事件も、
実は、部落解放同盟vs共産党という、政治闘争であったと言うことだろう。

当時、学生運動や労働組合をはじめとする、各種の社会運動は、
それまでより、一層過激になり、ヘルメットにゲバ棒で武装した勢力は、
他勢力とのぶつかり合いを度々起こす一方、
少しでも意見が違う場合は、仲間同士でも容赦なく血の制裁を加え、
その過激さは、日に日に拡大の一途をたどった。
(実際、あさま山荘事件に連なる、山岳ベース事件に象徴されるように、
多くのリンチ殺人事件を引き起こしていた)

それらの事件に大きくかかわったのが、日本共産党である。
共産党自身も、過去にリンチ殺人事件を起こしており、
驚くなかれ、国会に議員を送る「国政政党」でありながら、
今でも、過激派やオウム真理教関係団体などと並び、
公安当局の監視対象になっている。

現在の志位体制下では、そのような過去の過激な
イメージを一新しようとする努力も見れるが、
国から、「国家転覆を狙う危険な団体」と言うレッテルは、
現在も貼られたままである。

一方、部落解放同盟も、糾弾から、
暴力事件へと発展するケースがあったことは事実であり、
一部において、過激な行動をとる「武闘派」集団によって、
部落解放同盟=暴力団体と言うイメージが出来上がってしまったことも事実である。
また、部落解放同盟自体は、公安の監視団体には入っていないが、
そこから分派したある部落解放運動団体は、事実公安の監視対象になっている。
(公にはなっていないが、部落解放同盟も監視対象になっていた時代が
あったかもしれない。これは、あくまでも私の想像ではあるが・・・)

一方、当時の教員は、そのほとんどが日本教職員組合に加盟しており、
(現在は、日教組から分派した全教にも)
いずれの団体も、母体が日本共産党であることから、
組合活動をしている教員は、共産党員と言っても大きな間違いはない。

いまでも、卒業式や、入学式シーズンに、
教員が国旗掲揚・君が代斉唱に反対する一部教員が、
テレビニュース等で取り上げられるのはこの為である。

元々本人に共産思想がなくても、学校と言う特殊な労働環境の為、
周りの圧力により、必然的に組合に加入し、
次第に共産思想に染まっていくケースが多いようだ。
尾木ママをはじめとして、多くの方々が日教組解体を唱えているのは、
子供たちへの影響を考えた上でのことである。

この様な、時代背景の中で「事件」は起こった。

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冒頭、事件の概要を簡単に記述したが、
一方で、このような記述も掲載しておく。
八鹿高校解放研設立を訴えた生徒の手記である。

『この日、病院に入院された先生がいることはたしがである。
事実をもみ消すことはできない。しかし、この22日のことだけに焦点
を置いて考えることが正しいことなのだろうか?座り込み、
断食をおこなった21人の生徒の一人として私は先生たちの醜さ、きたなさ、
そして差別性を見てきた中で、どうしても許されないことだと思う。
私たちがどうしてここまでやったか。そして、やらなければならなかったか・・・』
(同和利権の真相の深層より抜粋)

八鹿高校では、全国の例に倣い、
解放同盟が指導する「解放研」の設置を学校側に求めたところ、
既に共産党系のサークル(部落問題研究会=部落研)が有ることを理由に、
これをを拒否。

生徒たちの抗議や、解放同盟員たちの糾弾により、
一旦は設置を認めたが、今度は、教職員がストライキ。
授業を中止し、職員室前でハンストを続けていた生徒を跨ぎ、
集団で本部が設置された旅館へと向かった。
それに対して、部落解放同盟S支部のM氏を中心とする、
『部落解放同盟南但馬支部連絡協議会』メンバーが教員を学校へ連れ戻し、
暴行事件は起こった。

再度、付け加えておくが、この事件は、
部落解放同盟対共産党と言う
政治闘争の一つに他ならない。
ただ、事件の舞台が、子供たちが通う「学校」と言うことに、
大きな問題があるのである。

====================

以上が、事件の振り返りである。
先にも述べたように、この訪問記では、
事件の検証・批判に主を置いたものではないので、
事件の振り返りは、このへんにしておこう。

―いよいよ次回は、その舞台となった但馬をレポートします―

見て記・行って記・被差別歩記―3 八鹿闘争記勝利念碑:その1
(みてき・いってき・ひさべつあるき)


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