~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと
“心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。

2014年1月26日日曜日

「特殊部落民」と言う言葉から・・・

全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ

このブログを御覧頂いている皆様なら、
この文言を知っておられる方も多いでしょう。
また、もしかしたら暗記されている方もいるかもしれませんね。

この文章は、1922(大正11)年3月3日、京都市の岡崎公会堂
(現:京都会館第2ホール)で行われた、全国水平社創立大会の
 際に読み上げられた水平社宣言です。
(全国水平社ついては、追々このブログでも記事にしていきたいと思っています)

西光万吉が中心となって作り上げられた水平社宣言の
読み出しには、「特殊部落民」 と書かれています。
特殊部落という言葉は、現在は差別用語とされており、
無闇矢鱈に使うものではありませんが、
大正当時は、特殊部落という言葉は部落民自身にとっても
差別意識がなく使われていたことがわかります。


ただ、その「特殊部落」という言葉の意味は、
現在の特殊部落という言葉が指す「差別的な用法」とは全く違いました。
その意味は、概ね以下のようになるかと思います。

◎(地区・集落を表す)部落の中でも、近隣住民から“差別”を受ける集落がある。
  こんなことがあってはならないが、現実に差別を受ける部落は存在する。
  我々の部落は、他の人から「差別」される特殊な部落なのだ。
 特殊なことは、無くしていかなければならない!

部落という言葉は、現在では被差別部落を
指すことが一般的ですが、本来は、“地区・集落”と言う意味で
用いられてきました。この事は、今でも地方などでは、
差別的な使用ではない「部落」と言う言葉が残っています。
例えば、私が中国地方のT地区を尋ねた時には、
町の案内板に、被差別部落ではないのに「〇〇部落」と書かれていました。

本来なら、差別されること=特殊という意味で使われていた訳です。
しかし、時が経つと、特殊=部落になってしまい、
又、特殊=部落出身者、部落民 になってしまいました。
つまり、部落は“特殊”な存在で、
そこに住んでいる部落民は“特殊”な人になってしまったのです。

私は少し前の記事で、「部落民と言う言葉自体が、
差別的に感じる」という事を書きました。
「部落民」はなんだか、日本人とは違う、
独立した別のカテゴリーに入れられているような気がします。
部落側からのアイデンティティの主張には、
有効な表現かもしれませんが・・・。

「部落民」が差別的に感ずる。
その気持は、今でも変わりありません。
だから、 ブログ書くに当たり「部落民」は、
あまり使わないでおこうと思っていました。
そこで、「部落出身者」や「部落居住者」と言う言い回しを
使ってきましたが、記事を書き重ねるに従い、
言葉の限界を感じました。

部落関係の本やメディアの多くは、
「部落民」と言う語を好んで使っております。
やはり、しっくり来るのでしょうか?

水平社宣言で使われた「部落民」に沿い、
今後は、このブログでも、部落出身者・居住者を
「部落民」と言う語で 表現していこうと思います。


部落を皆さんに知ってもらいたい!
このブログを、多くの方に見てほしい。そして、
部落を知ってほしい。それが、差別をなくす早道だから・・・

そんな気持ちで、ブログランキングに参加しました。
ブログランキング・にほんブログ村へ
どうぞ、クリックをお願いします。m(_ _)m

0 件のコメント: