~~~はじめに~~~

         「被差別部落」…皆さんはこの言葉を聞いてどう思われますか?
          私が、このブログを始めることにしたのは、職場で「○○地区は危ない」などと

          “心無い会話”が聞こえてきたからでした。それも複数の方から…。

          政策的には、約150年前に「解放」されたはずの被差別部落ですが、

          職場だけではなく、インターネットやパルプマガジン(低俗雑誌)などで、今尚、

          多くの差別があることを実感します。被差別部落出身の妻と結婚し、

          部落の暮らしを知る中で「部落の良さや暖かさ」を皆さんに伝えたいと思います。


         ※「生い立ち編」は、長期連載になります。少々長くなりますが、初めから

          読んで頂くことを強くお願い申し上げます(コチラからどうぞ)

2013年12月21日土曜日

おいたちと部落の縁 (生立ち編-1)

昭和44年。
私は、A県の田舎村の病院で生まれました。
私の母がA県出身、警察官の祖父が転勤族で、
県内の署をいくつか変わっていた内の一つの村です。

母は、警察の社宅住まいだった祖父母のもとへ、
里帰り出産をしていたのでした。
祖父は、警察官と言う仕事柄、祖母を連れての転勤暮らしでしたが、
同じA県内に、実家がありました。

祖父の父、つまり私の曾祖父が、庄屋で村長だったこともあり、
かなり大きく立派な屋敷でした。
祖父は長男だったこともあり、いずれは家督を継ぐ身でありました。

一方、私の父親は、遠く離れたB市出身。
A県出身の母親とは、見合い結婚だったと聞いています。
私も、生まれこそA県ですが、今までずっとB市住まいです。
名家であった母とは違い、実は、父方の出自はあまり詳しくわかりません。

私も何度か聞いてみたことはあるのですが、
父親自体も、あまりわからないようでした。
出自を知られたくない場合、ごまかす方もいるかも知れませんが、
私の父の場合は、本当に知らないようです。
 ただ、断片的に話を聞いていても、
祖父の代までは、あまり裕福な家庭ではなかったようです。

父親の実家は、私が育った家から歩いて15分程の
C中学(父も私も通った)の向かいでした。
それこそ、私が中学生くらいまでは、
大工であった父の兄が、米屋さんに庭先を貸して居ました。
そんな賃貸関係などという事がが分から無かった子供の頃は、
叔父の仕事は、てっきりお米屋さんとばかり思っていました。

父方の祖父は、私が3歳の時に亡くなっているので、ほとんど覚えていません。
しかし、以前、父親に祖父のこんなエピソードを聞いたことがあります。
「戦後ヤミ米を隣県から運び、売っていた」
祖父は、 隣県のD県出身であり、そのD県から米を買いB市まで運んだそうです。
しかし、当時はヤミ米はキツく取り締まられており、
到着駅には、たくさんの警官が列車の到着を待っていました。

以下は、ある本からの覚書です。
「隣県からヤミ米を積んだ列車は、到着駅の鉄橋が近づくと
一斉に、河原へ向かってヤミ米を投げる。
下では、河原に住む被差別部落民が多数待機している。
商人は、無事駅に到着すると、スグに部落へ向かい、手数料を払って米を受け取る。」
このような仕組みが出来上がっていたそうです。
私の父方の出自はよくわかりませんが、
その頃の祖父が、部落と大きく関わっていたことは間違いありません。

それから先述の、父の兄である大工の叔父は、
部落出身の方と結婚していました。つまり、私の叔母にあたります。
また、中学時代に通うことになる学区内に、同和地区が含まれており、
その中学校で、部落の友人ができるなど、私の生い立ちの中でも、
小さな頃から“部落”と関わりがあったのも、何か運命的なものを感じます。


部落を皆さんに知ってもらいたい!
このブログを、多くの方に見てほしい。そして、
部落を知ってほしい。それが、差別をなくす早道だから・・・

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4 件のコメント:

のんき さんのコメント...

初めまして、コメントをします。

実名などを名乗りたいのですが、今は、裁判などを闘っていて、明らかに出来ずに、御免なさい。
でも、恐らくは、貴方さまの大切な矜持に近いところで生き抜きたいと思っている内の一人では間違いありません。

まだ、生い立ち編の1しか、読んでなくて、コメントは失礼なんですが、共感共鳴するところ、大きいものを感じて、思いを綴っています。私は、昭和31年生まれですから、随分と年上かもしれません。私自身は、部落出身ではないのですが、同和教育推進教員をしてきて、同和教育、解放教育、人権教育を永年、自分のライフワークとしてやってきました。
でも、わけあって、今は教師ではありません。この実践の教育にかけてきたきっかけの一つに、友人の死があります。同じ郡部の普通高校の同級生でした。友は女性です。お互いが27歳を迎える年に、急に彼女は天国に旅立ちました。でも、彼女の死が只事ではない直感が働き、数年かかりましたが、部落問題による自死だということが分かっていきました。愕然としました。私には遠い問題と思っていたことが、本当は身近なところにあったのでした。従って、部落差別で、死ぬいのちがないように、これ以上の犠牲者は、どこにも出したくないと決意しながら、頑張ってきました。永年、いい意味で頑張りすぎました、病気になりました、甲状腺と精神疾患です。途中、省略しますが、

この大事な人間の問題で、社会問題で政治問題で、死ぬいのち、自分を否定する生き方があってはならない、理想ではなく、みんなが生きていてよかったという社会や世の中、学校をつくらなくてはいけないと実践をしてきました。今もまだ思っています、私に残された時間の中で、社会貢献できる仕事が出来ればと思っています、思っているだけではなく、行動しています。また書きますね。ご身体に無理をかけないように、家族を大事に、自分と自分の生き方を大事にして、ゆっくりだけど、確かに頑張っていきましょう。私はあなたを尊敬しています。少しずつ読んで、コメントしていきます。 (のんきな雲竜奔馬 より)

匿名 さんのコメント...

もうちょっと勉強なさってくださいm(_ _)m
あなたの「同和」の使い方で嫌な気持ちなる者の一人としてコメントさせていただきましたm(_ _)m
同和の意味と使い方などを今一度勉強なさってくださいm(_ _)m
連れ合いさんが出身者と読ませていただきましたが…
連れ合いさんが可愛そ過ぎますm(_ _)m
あなたの行動力は素晴らしいと思いますが間違いを世界中に見せびらかしてもマイナスにしかなってません
まず部落出身者の話を良く聴いて相手の気持ちになる事から始めてくださいm(_ _)m


あなたの何気無い「同和」の一言でキズつく者よりm(_ _)m

s sugi さんのコメント...

匿名さん
もう少し具体的に教えてください。
匿名さんを不愉快にさせる「同和」の使い方ってどのようなことでしょう?
妻が可哀想とはどういう意味ですか?
間違いって何ですか?
私はいつなんどきも「何気ない気持ち」でこの文章を書いたことはありません。
もし、間違いがあるなら具体的に教えて下さい。
それが、本当なら間違いも認めますし、勉強もし直します。
ただ、匿名さんのコメントからは、
残念ながら、何が不愉快なのか?何処が間違っているのか全く分かりません。
傷つかれた箇所は何処なのか?
どうか具体的に教えてくださいm(_ _)m

それと、一つだけ言わせてください。
私は、この文章を信念を持って書いております。
本当に差別がなくなることを願い書いています。

それには部落を知ってもらうことが大切なのです。
いい所だけ書ければいいのですが、
時には恥部を晒さねければならない場合もあります。

私は、確かに部落の方から見れば部外者かも知れません。
ただ、私の大切な妻や子供達、
又義母をはじめとする親族一同は紛れもない部落民です。
その大切な人たちにとってマイナスになるようなら、
私は、はじめからブログなんてやっていません。

Unknown さんのコメント...

匿名さんw
わかりますよ。その気持ち
しかし、のんきさんも人です 人にはさまざまな性格もあり表現方法もあります
問題を同じような発想で応答出来かねませんものね
でも のんきさんも他の方々と同じ苦悩を同士共に乗り越えてこられた方だと感じました
意見相違とはよくあり 海外の奮戦は宗教的意見の相違で起こるものが大半なのです
時として人からの好意が持論による自論により破棄され憎悪へと変わります
取り返しの付かない事態まで発展します
そこで 立ち止まれる教育が同和教育ではないでしょうか?
少なくとも今現在の私にとっての同和教育は身寄りもなく、頼るものも居ない一身上に
とてつもなく大きな「ささえ」となっています
人のモラルのなさや人に対する真心を親から捨てられ孤立のままに生きてきている私に教えてくれているのはその教育です
何を沈み込むことがあるのか何を被害者教育として受け取ってしまったかは統計し判断しかねますが自分を落とし込むより上げる方向で、もう掘り起こせない地底を足掻くより光を求め
頭上を掘り上げていきませんか?
ってww これも自論により自論の見解ですよね?
 意見相違だと思われることを前提にお送りさせていただきます
また 書き込みさせていただきたいと思っています
長々となりましたが まずはご挨拶までに